Fateは文学であり、ケータイ小説も文学であり、ラノベもまた文学である。

文学とは

ぶんがく 1 【文学】
(1)〔literature〕言語表現による芸術作品。詩歌・小説・戯曲・随筆・評論など。文芸。
「―作品」「―書」「―を愛する」

の意味 - goo国語辞書

 結局のところFateだって、ケータイ小説だって、ラノベだって、みんなみんな文学なわけです。正確には文学における一つの流派なわけです。図にするとこんな感じ。もちろんここに乗っていないカテゴリーも文学です。ピンクの範囲は後で出てきます。
 

なんで他の流派にケチつけるのさ

 どの流派だって、芸術活動をしてる作家がいて、それを需要するお客さんがいるんだから、それでいいじゃない。芸術性が低いとかどーでもいい。他の流派がどうであろうと自分の流派に影響はないのだから放っておけと。ケータイ小説がどれだけ流行ろうが、純文学の評価が下がるなんて事はありえないでしょ。
 評論家を気取りたい人は、自分の流派の作品の評価だけしてればいい。他の流派の作品にケチをつけるなと。自分の流派のルールで、他の流派の作品を評価する行為に何の意味がありますか。あなたがケチをつけた作品は、別流派のあなた向けには書かれていないのだから、面白みの無いクソ作品で当然です。こんな当たり前の事を声高に表明することに何の意味がありますか。

日本文学はオワらない

 ケータイ小説がどれがけ売れていようが、文学=ケータイ小説になる日は来ません。ケータイ小説が売れようが、純文学は不滅だし、大衆小説だって求められ続けるのです。どれだけケータイ小説が売れようとも、他の流派が存在し続ける限り日本文学はオワらないでしょう。
 また、世間には「図のピンクの範囲以外は文学ではない」という文学至上主義者*1や「純文学以外は文学ではない」という過激派*2がいるようですが、ケータイ小説ラノベが売れようとも、あなたの愛しの『脳内文学』が衰退することはありませんので、他の流派を放っておいてあげて下さい。

ジャンルの優越なんて無い

 様々なジャンルの本が様々なお客様に求められ売れていく書店で働いてから、ジャンルの優越なんてものが無くなっていってる気がする。昔ほどBLに対する拒否感もなくなったし。どのジャンルにも一生懸命作った作家がいて、そのジャンルを好きなお客さんがいる。それでいいじゃない。

*1:適当です

*2:これも適当