容器としての本、中身としての本

水曜日にTwitterでPostした内容(これこれ)の整理を兼ねたエントリーです。

本の変化

 本とは、肉や野菜のようにそれ単体で完結したものではありません。容器と中身が存在します。意味不明な言い回しになってしまいますが、本とは、「本」という容器に「本」という中身が入っている物です。
 一昔前までは、「本」という容器と「本」という中身は分けられないものでした。ですが、情報をデジタル化出来るようになった事によって、「本」という中身は、アナログな「本」から分離し、「デジタル家電」という新しい容器にも入れられる様になりました。技術的には、液晶付きの冷蔵庫に「本」という中身を入れる事も可能でしょう。

新たな容器の普及

 今日、持ち運び出来るデジタル家電は十分に普及しました。携帯電話やスマートフォンタブレット、携帯ゲーム機などなど。これは、誰もが「本」という中身を入れられる容器を持っているとも言えます。
 同時に、デジタル家電を持ち歩くという習慣も十分根付いたと思います。「本」という容器は万人に普及しませんでしたが、新たな容器達は良い感じで普及しています。

出版業界の試行錯誤

 そこに容器があるならば、とりあえず入れてみたくなるのが人の性です*1。ある人は「本」をパソコンに入れ、ある人は「本」をiPhoneに入れ、ある人は「本」をNintendoDSに入れてみました。さらには、Kindleや電子ブックリーダーなどといった「本」専用の容器を新しく作る人さえ現れました。
 つまり、「本」という中身がうまくマッチする新しい容器を探しているわけです。新しい容器達の中で、この容器はどうだ、あの容器はどうだと試行錯誤中です。この取り組みが上手く行けば、「本」の中身を沢山持つ出版社にとって新しい稼ぎ頭が誕生する事になります。万々歳。
 しかしながら、試行錯誤ですので、上手くいかない可能性もあり得ます。試行錯誤の結果として、「本」という中身は「本」という容器にしか入らない(=技術的には他の容器にも入るけど、商売的には入れても儲からない)という結論が出るかもしれません。
 さらに言うと、「ページをそのままPDFにして、はい電子書籍!」みたいな適当な試行錯誤を繰り返していると、容器と中身の相性の悪さによって、せっかく手にとってくれた読者を失望させてしまいます。せっかくの試行錯誤が自身の首を締めてしまっては元も子もありません。

 というわけで、電子書籍において大事な事は、中身と容器が分離した事をきちんと理解して、読者が欲しがっている「本」という中身を、その読者にとって適切な容器に入れてあげる事だと思います。『これだ!』という容器と入れ方はまだ出ていないと思うので、今後に期待です。言うのは簡単ですけどね。

*1:なんかエロい